こんにちは。れるです。
今日は、大学院行きたいなぁ、みたいな話をしようと思います。
一緒に、過去も振り返ってみたいと思います。
私は前大学看護学部に在籍中からぼんやりと大学院や研究への憧れがありました。
看護の場合、臨床経験を数年以上積んでから大学院へ進学するコースが一般的です。
臨床経験を積んで、大学院へ行って、大学教員になる。そんな道も良いなぁと思っていました。
ですが、私には働くことが難しいのです。
就職しましたが、4ヶ月働き、その後休職を経て退職しています。
体調が良い期間が数ヶ月以上続かないので仕方ないんです。
朝起きて仕事に行って帰ってくる、その負荷にも長くは耐えることができません。
臨床経験ほぼなし。看護で大学院進学するのは現実的ではないなぁと思いました。
(※臨床経験がないと大学院へ入学できないというわけではありません。)
食物について学ぶうち、また大学院への憧れが出てきました。
栄養学などの分野なら、看護で学んだことも生かせるのではないか。これまでの学びを統合して更に学びを深められたら素敵だなぁと思いました。
そんなふうに考えていたある時、食物学科でのとある講義をきっかけに、公衆衛生学に興味を持ちました。疫学研究、やるならこれかな、と思いました。
公衆衛生については前大学で保健師の勉強をしたときに学んだことがあります。
その時はあまり興味を持たなかったけど、やっぱり面白いかもしれない。
過去の学びがどこで生きるか分からないものだなぁ、あのとき勉強していて良かった、と思いました。
大学院に行きたい、研究をしてみたい、大学教員も良いなぁ、そんな気持ちが湧いてきました。
じゃあ、現実はどうなの。
残念ですが、大学院通学にはいくつかハードルがありました。
学費、そして通学すること自体のハードルですね。
学費は言わずもがなでしょうか。
特に私の場合自分で働くことができず、学費を稼ぐということができません。
そして通学へのハードル。
ここで過去の話をしたいと思います。
私は高校2年生で双極性障害を発症し、高校3年生で半年間の入院をしたため高校を留年しています。通信制高校に転入し、卒業しました。
その後、4年制大学の看護学部を卒業しました。このときは、「合理的配慮」をしてもらうことで、卒業することができたのです。
合理的配慮とは、平たく言えば、障害があっても、人権、教育や社会参加の機会が他の人と平等に持てるように行われる配慮です。
私のもつ疾患は、体調の良い時期と悪い時期を繰り返します。
元気なときは他の学生と何ら変わりなく過ごすことができます。軽音サークルも楽しんでいました(ここで今の夫や親友と出会いました!ライブにもたくさん行きました。軽音最高だぜ。)。
ですが、体調の悪い時期が来ると、通学が難しくなります。ひどいと寝たきりになって、どうしても起き上がることができなくなるのです。
そのせいで、講義の欠席もたくさんしました。
「今日欠席したら留年になる」と、駅のホームで大泣きしたこともありました。
欠席日数が多くなってしまっても留年せず卒業できたのは、先生方に配慮をいただいたからなのです。
幸運なことに、素敵な先生ばかりでした。
学部の教員全員が私の病気を知っていました。
欠席した分のプリントは、全部隣の席の親友が見せてくれました。
当時飲んでいた薬の副作用に、アカシジアというものがありました。
動いていないと脚がムズムズしていてもたってもいられなくなるというものです。
この副作用のため、講義を途中で抜けて大学の敷地内をぐるぐる歩き回っていたこともあります。あれはつらかった。
遅刻、途中退席しやすいようにと、講義はいつもドアの近くの席で受けていました。
救いは試験でしたね。
体調の良い時にまとめて取り組むことで成績はほぼオール優でした(過去の栄光、笑)。
診断書を渡すと、試験頑張ってくれればいいよ〜と笑って受け取ってくれた先生もいました。
それには応えられていたと思います。
そんなわけで、私の体では、通学となると一筋縄ではいかないのです。
大学院は、学部とは違うとはいえ、通学しなければいけない期間は増えます。
そのような生活を、2年あるいは3年続けなければいけないのです。
きっと、大学院でも合理的配慮をしてもらうことになるでしょう。
そうすればできないことはないかもしれない。
学部の4年は必死にしがみついて、全力で頑張りました。ですがもうあの頃のような熱量はありません。
そうです、自信と覚悟がないのです。
先日28歳になりました。
今後のライフプランも考えたいところです。
そんな中で、大学院進学は、やっぱり現実的ではありません。
病気がなければ、そして働いて学費を稼ぐことができたなら。
そんなふうに落ち込むこともあります。
でも人生は何があるかわからないから。
もしかしたら、数年後、大学院に行ってるかもしれないし、他の興味の対象を見つけているかもしれない。
とりあえずは、目の前の生活を大切に、楽しんで生きていきたいと思っています。
過去の話は終わり。